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安寧穏便無味にして曖昧


 俺を封印する立方体すなわち部屋の中に置かれたごみ箱すなわちバケツから湯気でも出ているのではないかと疑わしいような腐乱臭が釣り針となったのか小蝿の類が何処からともなく手繰り寄せられたかのように現れ、彼らの目的は生存であり矮小ながらきっと合理的であり機械的だがぶんぶん飛ぶその虫を1匹、両手ではたき殺め、その犠牲の上で俺は成り立っている。いや彼らは犠牲などではない。犠牲とは体裁を整えれば救済の一手段であり、例えるならホイップクリームを捻り出すあれあるだろ、あれみたいだろう。彼らは幸いか?俺に殺されるために生まれて俺の胃袋も睡眠欲も満たされるわけでもなく、ばっちいからティッシュで包んでプチっと潰して止めを刺して殺したんである。生命とはなんぞや。視界とはなんぞや。虞や、虞や。
 しかしどうも部屋に迷い込んでくる虫の数が多いのでインターネットの情報網を駆使し俺がこの春すでに6匹殺した黒いてんとう虫のような生き物について調べたところ、カツオブシムシという名前の虫らしく、こいつは衣服の繊維などを大量に食う繁殖力の強い害虫で一度繁殖すると駆除するのが難しくなるらしい。これはいかん!皆殺しにせねば!生命の尊さ儚さは実生活の煩わしさには勝てんのだ。俺はそれが悲しい。
 そうして雪原のごとくたまった埃、険しい山のごとく積み重なった衣服を掃除洗濯しようとした矢先1時間後に俺の家から徒歩10分の場所で午前150人午後150人参加というなかなかの規模の格ゲーの大会が開かれるという情報をキャッチしたので、こうしてはおれん! 皆殺しにせねば!といきり立ち10分で風呂に入り走って会場に駆け付けエレベーターで5階まで登り、エレベーターの開くボタンを押してどうぞどうぞと他の搭乗者を先に降ろすという余裕っぷりも見せ、スタッフに、おいエントリーしたいんだがと申しつけたところ、人が多すぎて当日エントリーはやっとらんと言うんである。聞いてねえぞこの野郎という気分だったが俺が何も調べてないだけの話なので、笑顔でさいですかと受け答え、くらげのように会場をふらふらしてそのまま退場し、近所のスーパーで豆乳を買って帰ってきた。
 愚かにも日々を無味にして曖昧にする男の乗った天秤のもう片側に6匹の小さな虫の死骸がぱらぱらと注がれ一体どれだけ量りが傾いたというのかね。安寧と穏便は無味にして曖昧であるよ。