空論に猿の腰掛け

 人類が生まれてから悠久に流れる時間という概念がかつて止まったことがなかったために、ブログを書くということ以上に、文字に対する恐怖、これは働かざる者の持つ疾病であるが、生活の中で何事も起きぬので何も書くことがなく、書くにしてもそれが誰の何のためになろうか?などという存在感の恐怖が文字鍵盤のキーを一つ一つ固く鈍くするのである。

 今日は2年ぶりに外出した気がする。いや、いくら俺がほら吹き男爵、誇張表現のチョロ助だと言っても、2年間全く外に出なかったというのは嘘になる。だが2年で積もらせた部屋角の読みかけの本たちの上の埃ほどにも、外に出たからと言って特筆するようなことはこれっぽっちも起こらず、本当の本当に、誰かに ねえねえ、聞いてよ って語り掛けたいようなことはなかった。これは悲しいことだ。みんな俺のこと覚えとるか?鈴木裕太くんやぞ

 

 俺がいつものように、後の記憶に残らぬような、こうして文字鍵盤を叩きながらすでに思い出せないような時間を過ごしていたところ、弟が実家に寄ってご飯を食べに来たところから約2年ぶりに俺の記憶は始まる。

 食事を済ませて部屋に戻り、オタクのツイキャスを荒らしていたら、弟が部屋にやってきてブロリーの映画を見たいと言い出すんである。前々から弟からはブロリーの映画を見に行きたいと誘われていたのだが、高校生以来映画館に行ってない俺としては、あそこは健常者の行く場所であって、俺の行く場所ではないという意識があったので、これまで渋っていた。だが、今日は行くことにした。クレープが食べたい気分だったからである。

 愛知県民にとってはイトーヨーカドーを制覇した者が次に行くところがイオンである。イオンには映画館もあるし、たくさんのスイーツ屋もある。イオンに着いてまず最初に映画のチケットを購入し、上映まで1時間ほど時間があるのを確認し、クレープ屋に行く。

 俺の配慮というか、繊細さと言いますか、諸君もよくツイッターにスイーツの画像とかあげるではないですか。するとテーブルにコップが二つ置いてあったりするではないですか。誰?家族?男?女?え?え?って思いながら見とるからな俺は。許さんぞお前らほんとに。その点、配慮の塊であるところの俺はクレープだよ~って写真にきちんと弟を映して撮影。チョコバナナホイップカスタードクレープ450円、んまかった。

 

 1月の寒さにイオンモール内も若干冷えており、映画を見ながら体をぶるぶる震わせるよりは汗をかいてもよいので温かいものを飲んで、ゲームでもして運動したほうが良いと思われたので、ドトールに行きホット抹茶オレを注文し、そうしてゲーセンの車でエイリアンと戦うよくわからないゲームをして最高のコンディションを整え、映画館へ。

 映画の内容はとても良かった。評判通りである。良かった点は三つある。

 まず一つが、ブルマとフリーザドラゴンボールを集める理由である。物語においてオチを付けるために二つのものを対比させたり、連続させたりすることがあるが、今作のブルマとフリーザは、ドラゴンボールという作品の時間軸において、現在の段階で出来る物語展開での最高の理由付けであり、これを評価したい。

 二つ目が、ブロリーの体がどんどんデカくなっていくところである。パラガスが流刑にされたブロリーを発見した時に、戦闘力が高まるとブロリーの体が大きくなるというのを、戦闘服の伸び加減で説明する。今作でブロリーには長い戦闘シーンがあり、これを、ただ男同士が殴り合ってる様子を冗長なものにせず、時間が経てば経つほど迫力のあるものにする演出である。男の子というのは、大きいものが好きである。グレンラガンで最終的にロボットの大きさが約1500憶光年になったり、ギャグマンガ日和の前野のIQが5憶だったり、そういうアホみたいな規模やサイズ大きさに男の子は惹かれる性質がある。ドラゴンボール(特に後期)では、敵がパワーアップすると小型化したりスマートな容姿に変身することが多い。逆説的な驚きを読者にもたらすためである。だが、ブロリーの強さこそが真に王道であることを、今作で思い出させられるのだ。戦闘時のGoブロリーGoGoっていう曲もほんと良かったね。

 そして三つ目、これは言うまでもないことだが、ブロリーたちの戦闘を見守るチライ(緑肌のショートヘアの女の子)の尻のラインね。ああ、言うまでもなかったね。しかしあれだ、ブルマといい、ギネ(悟空の母)やチライといい、ドラゴンボールの女性キャラってかわいいな。

 惜しい点をあえて一つ挙げるとすれば、パラガスの扱いであった。というのも、ブロリーを扱った映画は旧作でも3作あり、それらと今作を比べてしまうのは(あまり良いこととは言えないが)どうしても避けられない。ブロリーが初めて登場した劇場版では、ブロリーは父であるパラガスを自らのマッチョパワーで殺めている。ここに父殺しという大きなテーマが直面しており、俺個人としては今作ではそれがどうなるのかを期待して見ていたが、少しばかりあっけない感じがあった。しかしまあ、これに関してはチライがかわいいなという感情で流せる程度のことである。

 

 こうして、とびきりZENKAIパワーを全身で感じながら映画を見続け、EDのクレジットが終わりを迎えた時、まるで自分がカンヌ映画祭の会場にいるような気分に包まれ、高揚して思わずスタンディングオベーションしそうになってしまった。 

 映画館で映画を見るのは実に高校生ぶりであった。あの頃の自分と比べると涙腺が非常に脆くなっているのがとても心配で、今の俺はアニメを見ればすぐ泣くようになってしまっていて、弟にアニメで泣く姿を見られるのは絶対に避けたいと思っていたのだが、映画が始まる前に流されるワンピース映画の予告CMの時点ですでに泣いたからな。