侃侃諤諤たる背方の筋斗雲

 降雨山川を代謝させ日々鷹揚たる夜明けの足踏みに雷鳴横から轟けば鳥どもも挨拶の相手を間違え落巣する。季節が変われども人の怠慢は根を張らせ、惰眠はそのまま翌日の労苦の賤しき種となる。誰が助力なき天の有り様、汝の為すべきを為せと無尽に殖える草々の、生命力、その輝き此れ対照的に。

 

 義務を果たすということ以外において東京での長閑な生活は実に自身の性質に合っていたと思わされる。すなわち、静寂。都会と田舎のどちらが喧噪に包まれていて煩雑であるかというと、間違いなく田舎である。都会の自分以外が全て他人でありどのような物音も距離も無関係であるその喧しさは耳の右あるいは左から入り、左あるいは右から通り抜けていく。そこに理念がなければそれは無音なのだ。群衆の中に放り込まれたビー玉は気付かれることもなく人々の足取りの間を縫って自分の落ち着くままに転がり居場所を自然と見つける。だが田舎ときたらどうだ。堅牢な壁がない。開かずの扉がない。俺の安らかな世界が馬鹿でかいくしゃみによって崩壊される。そんな蛮族のような同じ屋根下の隣人は他でもない家族なのだ。都会の安穏たる空気は俺をむしろ神経質にしたかもしれぬ。ついに俺は寝室から寝具・電源タップ・オタクフィギュアなどを全て寝室奥の納戸に移し、これにより部屋の外に出るためには2回扉を開けなければならない、電気を2回点滅させなければならない、というささやかな代償を払い、僅かながら防音にましな安寧の地を得た。

 

 今日の巡回は父親の体調が優れないということで、俺一人で行くことになり、諸君が嫌いな上司が休みだった時と同様の思いで、やったーと薄ら喜んでいたら、代わりに母親が私も行く!と言い出し、来んでええ!と心の中で叫びはしたものの、母も家で父と二人きりで過ごしたくないという魂胆が察せられるので、あまり強くは拒絶しなかった。弊害と言っても車の中でオタクミュージックを流しにくくなるくらいだしな。そうして母親と共に現場に向かい、ちゃっちゃと仕事を終わらせ帰り際に昼食を食べに徒歩1分、アピタに寄ることにした。

 母親と二人で外出したのは何年ぶりだろうか。買い物が目的でもなく、普段は食堂に一直線に向かうしかなかったアピタで、ふと目についた靴下なんかに、おっそういや靴下欲しかったわ、などと言って足を止めるなんて、家族との買い物があまり好きではない俺には、自分でも珍しく感じた。商品を握りしめ、ちょっとこれ買ってくるわ!と言ってレジに大股で向かおうとしたところ、自分のズボンのポケットの中が異様に自由であることに気付いたのだが、うっかり八兵衛よ、車の中に財布を置き忘れてきてしまったのだ。翻って母に財布車に忘れてきたわ!ちゅって、仕方ないので母親に靴下を買ってもらった。28歳無職独身。会計を母の横で待つのはちょっと恥ずかしい気がしたので、レジから20mくらい離れて待っていた。

 しかし28歳無職独身が平日の昼間に母親とアピタにご飯食べに行くと聞いたら君たちはどう思うか?俺は残念ながら感心しない。俺が今日アピタで何度かすれ違った30歳前後の青年はみな子連れであった。そのことについて何か嘆きたくなるような感情は別段湧きやしないが、逆の立場、彼らが俺の姿を見て、どっからどう見ても無職が歩いておる、母親の年金でアピタに買い物に来ておるな、としか映らんのが問題だ。おい、違うんだぞ、と弁明くらいはしたくなったが、事実手元に財布がないのだ。どうしようもない。俺に出来るのは絶望夜勤工場で働いていた頃に勤務中の暇な時間でこっそり練習したタップダンスで威嚇するくらいである。

 スーパーの生鮮食品、総菜売り場、パン売り場などの配置に綿密な戦略性があるように、複合商業施設アピタにも、靴下の陳列を撒き餌に、まるで蟻地獄の巣のような吸引力があった。納戸に引きこもるようになってから、元より収納してあった箪笥や棚を背もたれに使っており、やや背骨のあたりがゴリゴリする、こんなのもうコリゴリやねん、かねがね背もたれ用にデカいクッションが欲しいと思っていたが、靴下コーナーのすぐ反対側にクッションコーナーがあるのな。戦略かこれ?うまくできているもんだ。母親についでにこのクッションも欲しいと言って、筋斗雲のようにふかふかで俺の背中の大きさよりも五倍くらいデカいクッションを買ってもらった。レジから20m離れて会計を見守りながら喜びのタップダンスである。

 あと他に欲しいものが冷蔵庫だ。冷蔵庫を買ってしまえば俺の生活は一層完成される。引きこもりとしての最終形態までの道のり、今日は人造人間17号を吸収したセルのような気分である。アピタの中の電化製品売り場で冷蔵庫まで買ってもらおうかとも思いが浮かんだが、それはなんだか強欲な気がしてやめた。というより、ショッピングするなら一人で気ままにしたいと思ったので、クッションを抱え店を出て、帰ることにした。

 

 こうして、もはや部屋というよりも巣と呼ぶに相応しい薄暗い俺のねぐらに馬鹿みたいに巨大で柔らかな背もたれが設置された。これは背中で乗る筋斗雲だ。そう思うと俺は精神だけならばどこにでも行ける気がして快活になった。